児玉 友春(学生)

荻生徂徠と日本史固有の近代について――統一的原理と多様性

一 定型化された「近代論」の陥穽 江戸期を中心とした日本思想史研究の泰斗である東京大学名誉教授尾藤正英は『日本文化の歴史』の結論部において以下のようなことを述べている。「日本の将来に新しい展望を開く可能性があるとすれば、(中略)『西洋化』の…

インターネットと将棋の衰退――ファミコン化する将棋

一 将棋道場は最高の社交の場であり学校であった 本年第五八回のNHKの将棋トーナメントで、九段の石田和雄先生が出場されるのを眼にし、思わず胸が熱くなり、懐かしさで涙が出そうになった。暫くお会いしていないが、石田先生は私が将棋の師匠と敬愛する…

山路愛山研究(その三) 英雄論に見る明治人の人間観

(前回の補足説明:文明は「手段」か「目的」か) 1 前回、文明を「手段」と見るか「目的」と見るか、この二つの対立が明治思想家の間であったということを述べた。しかし、あれだけでは非常に分かりにくく、ラフすぎる。 福澤諭吉は明治八年(一八七五)、…

山路愛山研究(その二) 文明批判と近代人の本質

――愛山における一番の優先順位は、国家共同体に他ならず、これらを破壊するのは近代文明と認識していた。 四 文明は手段なのか目的なのか、近代日本二つの視点 前号は、ざっと山路愛山の共同体思想における一番の要所といってよい「社会三元論」を紹介した。…