インターネットと将棋の衰退――ファミコン化する将棋


 一 将棋道場は最高の社交の場であり学校であった
 本年第五八回のNHKの将棋トーナメントで、九段の石田和雄先生が出場されるのを眼にし、思わず胸が熱くなり、懐かしさで涙が出そうになった。暫くお会いしていないが、石田先生は私が将棋の師匠と敬愛する方である。解説名人と知られ、筋のよい「プロ中のプロ」といわれる将棋で鳴らされた。一昔前は、A級棋士として活躍され、竜王戦の挑戦者決定戦にまで勝ち登り谷川浩司一七世名人と挑戦権を争われたこともある強豪である。石田先生は、最近活躍も少なくなっており、ここ十年以上、地道に柏将棋センターで子供や一般人への普及に努められていた。
 ベテランが予選を勝ち上がってテレビ棋戦に出るのは並大抵のことではない。秒読み将棋は若手棋士が滅法強く、ベテランは圧倒的に不利である。コンピュータばかりいじってデータ一点張りの若手全盛時代に、アナログ世代のベテランが活躍するのは容易ではない。現在石田先生は六一歳で、十年ほど近い前によく毎週のようにお食事をご馳走になったときに、「腐っても鯛だ」、「歳には勝てん!」とよくぼやいておられた。実に、人間臭い人なのである。勝てば大笑いし、負ければ泣きに泣く。その先生が、若手をなぎ倒して本戦にまで出られた。心から嬉しい。勝利を飾られ、「石田和雄健在!」を示されることを願う。
 私は高校時代、日中は家業の水道屋の手伝いをしながら、夜の五時から柏にある定時制高校に行き、九時まで勉強して帰り、週末は柏将棋センターに毎週のように行くのが習慣だった。対局後に多くのアマのベテラン・若手棋士と飲み食いした日々は楽しくて仕方がなかった青春時代だ。高校は中退してしまったが、夜学だったので友人がいろいろな経験を背負っている人がいて面白かった。こうした環境が私の人格形成に多大な影響を与えたのは間違いがなく、同年代の人間と話すよりも、五、六十の人と話しているのがよほど楽しいのは、このときからである。  大急ぎで立ち食い蕎麦を食い、腹を満たしてからトーナメントに出場し、優勝する。将棋そのものを指すことより、多くの人が集う、タバコの煙で充満していた(タバコ嫌いのくせに)賑やかで活気に満ち溢れた空間に足を運ぶのが大好きであった。そこには、老若男女が入り混じった、ちょっと作ってもなかなかありえない光景があったのである。まさしく自発的社交性(spontaneous sociability)が存在した空間だった。この良き空間を残しているのは、柏将棋センターか、御徒町や新宿の将棋道場くらいだろう。
 現代では、インターネットで将棋が指せるようになり、将棋を指すという目的を達するならば、席料千円を払ってまで道場に行くという手間をかけなくても指せるようになった。気軽に場所を選ばず、人にも会わず、ただ黙々とインターネットに映し出される将棋盤に向かえばよいのである。将棋における合理化が達成され、今、全国の将棋道場は一部の大きな組織力を誇る場所を除いて壊滅寸前にまで追い込まれた。子供たちが将棋道場に通うという習慣がなくなれば、個性を育む空間が死ぬことを意味する。合理化の結末が何を意味するのかを将棋連盟は深く認識しなくてはならないだろう。これは将棋に限ったことではない。インターネットという「無空間の空間」が日本中を占拠することで、人々の社交を媒介する場は確実に少なくなっているはずだ。現代高度情報化社会(ネット社会)とやらは、私にとって文化破壊の時代そのものなのである。


 二 升田幸三の将棋観
 私が将棋を始めたのが小学校の五年生の頃で、友達が教頭先生と指している姿を見て興味を持ったのがきっかけである。将棋との出会いは僥倖というほかない。それまではスーパーファミコンとかテレビゲームばかりに興じていたのに、全然やらなくなった。副作用として、勉強も全然しなくなった。将棋の出会いとは劣等生時代の始まりでもあった。家のじいちゃんも、クラスの担任の先生も私に勝てなくなり物足りなくなったので、六年生の時にはプロの所司和晴七段のもとで修行をするようになった。所司門下の渡辺明竜王や、清水門下の石橋幸緒女流王位なんかとも指した。石橋さんにはほとんど負けたことがなかったと思う。他の奨励会員(プロの卵・アマの四、五段)にもだいたい勝ち越していた。全国中学生選抜将棋選手権(名誉総裁三笠宮寛仁様)の千葉県代表にもなっていたのでプロ棋士を目指す道もあったが、経済的な理由が許さず、その道は断念することになった。
 高校時代は上述したように将棋道場に通い詰めで、高校を辞めると余計に将棋に熱中した。しかし、勉強もしないくせになぜか大学に行きたくなったので、暫く将棋から遠ざかった。このころ、何で将棋から遠ざかったのか。プロ棋士の指す将棋が本当につまらなくなり、将棋を指す意欲が減退したということによる。感動を与えるようなものが何一つない。アマチュアの目線を意識したプロが居なくなったのである。彼らは勝つという技術には長けるようになった。しかし、それを支える将棋観なるものがまるでない。まるで機械のように、マニュアル化された手を指す傾向が激増した。「コピー将棋」なる皮肉は、五十手以上も前例のある将棋をお互いに指し続ける様をいう。同じことしかできないなら「反省ザル」と同じだ。専門バカなのだ。
 実力制四代名人升田幸三は「プロ棋士なんてあってもなくてもいい職業なんだから、アマチュアの皆さんに感動を与える将棋を指さなくてはならん」と喝破した。実際に王将戦で升田八段は大山康晴名人に香車を引いて勝つという不滅の記録を残した。その升田は、途方もなく将棋が強いだけではなかった。確固たる将棋観を持っていた。終戦直後の話である。GHQが日本の文化を潰そうと躍起になったときに、当然ながら将棋もそのターゲットになった。アメリカ人の日本改造への執念深さは、大衆が縁台で好んで指す将棋にまで及んだのだった。GHQは将棋関係者を呼ぼうとし、その際に棋士たちが送り込んだのが舌鋒鋭い升田であった。GHQの将校は「将棋は相手から奪った駒を味方として使うために、これは捕虜虐待の思想に繋がる。野蛮なゲームではないか」と明らかに牽強付会の理屈を並べた。升田は、ビールか何かを持ってこさせて飲み干し、眼光鋭く言い返した。「将棋は人材を有効に活用する合理的なゲームだ。チェスは取った駒をそのまま捨てるが、これこそ捕虜の能力を殺し、まさしく虐待ではないか。キングは危なくなるとクイーンを盾にしてまで逃げる。これはあなた方の民主主義やレディーファーストの思想に反するではないか」。痛快無比。現役棋士として兵役に取られ、ポナペ島で死線をくぐってきた升田の理屈にアメリカ人は感服し、将棋は救われたのであった。


 三 将棋は「ファミコン」に成り下がった――「棋は対話なり」に帰れ
 私も現代文明に生きる人間なのでインターネットで将棋を指すことがある。通信対局といって、全国のアマチュア棋士だけではなく、プロとも指せるし、海外の人間とも対局が楽しめる。私の棋力は「将棋倶楽部24」というサイトでは二、四九七点の六段でかなり指しこんだが、「将棋を指しているな」という感じは全くしない。コンピュータだから生身の人間同士が相対する対局では起こりえないような駒の打ち間違いなども頻発し、そんなミスで勝っても果たして何が楽しいのかと思う。まさしく、今起こっている事態は将棋の「ファミコン化」ということなのではないか。内藤國雄九段が好む言葉に「棋は対話なり」とあるが、その精神に帰れといいたい。ネット将棋にあるのはチャットという対面することがない相手同士の記号が飛び交う世界だけだ。
 そう考えると、平成一五年での関東大学将棋連盟の団体戦には人間同士が戦う実感があった。これは、私にとって甲子園みたいなもので、A級では東大、慶応、早稲田、明治、立教、東海、中央といった大学のエースが集って七人同士が大学の名誉を争って対局するのだが、その様は扇子を開閉しバチバチと音を立てて気合十分に駒音高く指し進めるといった感じで、各一局につき小一時間の緊張感みなぎる死闘である。事実、相手を打ち負かすには「脳に汗をかく」ほど考えるために、傍らのお茶のペットボトルは欠かせない。このときに、七戦全勝したという記録があるからかもしれないが、思い出すほどに楽しいのは、人間たちが本当の意味で躍動しており、実に生々しい記憶として残っているからだろう。このときの、棋譜は宝物である。
 将棋の醍醐味は、やはり人間同士が向き合って戦うということにある。ちょっと見渡しても、アマチュアでは一時間強、プロでは朝から深夜まで向き合うゲームはそうそうない。顔を見て、「焦っているな」とか「こんな強がった手を指して、悪いと思っているな」、「随分ぬるいな、良いと思って油断しているな」と、読心術じゃないが、強くなるほどにそうした水面下の駆け引きが面白くなってくるのである。
 私は将棋とよく比較されるゲームである碁のほうはよく知らないが、碁は盤と白黒の碁石があれば簡単にできるゲームなのでグローバルに広がっている。韓国、中国のプロはもとより青い眼のプロもおり、碁からは日本の文化性なる体臭は感じない。将棋愛好家としては、碁と将棋を一緒にしないで欲しい。やはり将棋は、日本文化から出た最高に知的なゲームなのだ。将棋には坂田三吉について歌った村田英雄の「王将」、北島三郎の「歩」という、駒を擬人化した歌謡曲がある。坂田三吉の関根金次郎との死闘で出た「銀が泣いている」というセリフや、大山康晴相手に必勝の将棋を負けた際に出た升田幸三の「錯覚イケナイヨクミルヨロシ」でもよいが、将棋には人間臭い「物語」が満ちている。そんな「物語」を、インターネット対局をプロ棋戦に持ち込んでまで否定し去ろうとしているのは、将棋に携わる専門家たちなのかもしれない。将棋の「死」である。若手プロの人間力と棋力の低下を心配する河口俊彦七段は「要領のよい勉強法で早く強くなっても、皆んな似た将棋になってしまう。それより、自分の個性を伸ばす、無駄の多い勉強法の方が、将来大きく開化する」(『大山康晴の晩節』)と述べておられるが、何も将棋に限った話ではなかろう。棋士たちは、原点に帰るしかないのだ。