戦後史学における歴史否定の問題とその相克(後篇)

 八 「History」ではなくなった日本の「歴史」
 ここで一言、ランケ史学の問題点についても触れておかねばならない。近代歴史学の確立にランケが果たした役割は如何様にも否定できるものではない。とりわけ、未だ文学の領域と不分明であった歴史学史料批判という科学的方法論、すなわち実証主義を導入した功績は、たとえ彼に批判的立場を有するとしてもあくまで評価されなければならない。しかし、彼が抱懐する西洋中心史観は、当時世界の中でヨーロッパが置かれた位置がそうなさしめたとはいえ、その後も長く歴史学の世界を呪縛し、その意味で批判の俎上に上げざるを得ない。バイエルン国王マクシミリアン二世への進講集ともいえる『世界史概観』(原題は「近世史の諸時代について」" Uber die Epochen der neueren Geschichte"、岩波文庫、昭和三六年)の中で彼は記す。
 「一切の古代史は、いわば一つの湖に注ぐ流れとなってローマ史の中に注ぎ、近世史の全体は、ローマ史の中から再び流れ出るということができる」。
 ランケに典型的に現れるこうした歴史認識は、時代区分法としては、「古代ギリシャ・ローマ時代」、「中世」、「近代」の三区分法として人口に膾炙する。言うまでもなく、マルクス唯物史観の歴史区分はこれを踏襲したものに他ならない。本来ヨーロッパ史を枠づけるものでしかないこうした歴史区分が、ヨーロッパ以外の国の歴史を無惨にも引き裂いたのは言うをまたない。こうした歴史認識は、日本へは明治一〇年以来、東京大学歴史学を講じランケの忠実な弟子でもあったルートヴィッヒ・リースによってもたらされる。ランケ史学に影響を受けた唯物史観と、西洋中心史観が、とりわけ戦後、日本史を実り豊かな物語とすることを妨げる。
 一方、ランケ流実証主義が、歴史を魅力のないものにしたことは否めない。それはまた、ランケを生んだドイツ史学の特徴かもしれない。ドイツ語で「歴史」を意味する「Geschichte」は、「geschehen」、すなわち「生じる、起こる」という動詞の名詞形であり、したがって「Geschichte」がもつ語感からすれば、歴史を「過去に起こったこと」ととらえているといえる。そうだとすれば、ともすれば歴史をして単に過去の出来事の陳列物としがちであり、その赴くところ過去の出来事をひたすら忠実に拾いあげようとする過度の実証主義を胚胎するその基盤を提供することにもなる。
 一方、英語の「history」は、同じく「歴史」を意味しながらも「Geschichte」とは好対照をなす。その語源、ギリシャ語の「historeo」は、「探究した結果を叙述する」という意味をもち、その語感からすれば歴史を本来「物語るもの」とみなしているといえる。もちろん、歴史は、「Geschichte」と「history」の両要素によって構成されるが、日本が影響を受けたドイツ流実証主義は、とりわけアカデミズムにおける専門主義の影響もあって、歴史をして単に過去の出来事の陳列としてきたことは否めない。ランケは歴史を文学から切り離そうとしたが、その行き着くところ彼の亜流たちによって歴史から「物語」の要素は捨て去られた。先に、昭和史論争の中で遠山茂樹が、歴史を文学芸術とはきちがえると、「社会科学の分析の外にはみ出し、感動すべきもの、非科学になってしまう」と述べたことを紹介したが、こうした極めて有害な謬論が歴史から物語の要素を排除した先に跋扈する。
 いずれにしてもランケ流の西洋中心史観、そしてその鬼っ子ともいうべき唯物史観、さらには合理主義という名のもと追求された実証主義によって、戦後に描かれる日本史はもはや人をひきつけるものではなくなった。


 九 歴史否定の相克を目指して
   ――オルテガ歴史認識をヒントに

 本稿の冒頭で私は、ヘーゲルマルクス(あるいはランケ)流の理性的歴史認識を一方に据え、他方に、理性哲学に抗すものとしてある、生の哲学を背景としたディルタイ歴史認識を置き、そのスキームの中で、戦後史学の問題点を考えてきた。太平洋戦争という尋常ならざる国難もあり、戦後史学が歴史を断罪し否定するベクトルを指し示しているとすれば、それは上記二つのスキームのうち、戦後史学が大きく理性的歴史認識にスイングしすぎたことと無縁ではない。もし歴史に正当な光を投じ、これに的確な評価を与えようとするならば、反対方向に振れすぎた振り子を呼び戻す以外に方法はない。そのヒントになりうるものが、理性的歴史認識とは異なる、ディルタイに代表される歴史認識であることもまた言うをまたない。
 実はこのディルタイを敬愛し、彼に極めて高い評価を与え、その方法論に沿って歴史を認識しようとした一人にオルテガがいる。オルテガディルタイをして「十九世紀後半における最も重要な思想家」(「体系としての歴史」)としたが、本稿は、戦後史学の中で歴史否定の相克に向けヒントになりえる極めて重要な歴史認識を提示したものとして、オルテガのそれを見ることで結びとしたい。
 そもそもオルテガにとって過去とは、理性的歴史認識がそう考えるように、過去は現在と断絶されたものではない。そもそも人間をもって「存在を累加し、過去を蓄積し続ける」存在とするオルテガにとって、「人間の真正の『存在』は、その全過去をひろげてよこたわっており」(同上)、「過去は、かなたに、その日付けのところにあるのではなくて、ここに、私のうちにある」(同上)。
 それゆえにこそ、現在的生の立脚点は過去の省察により見出される。
 「現在とは、過去の要約である。そして、過去を分析するということは、今日にいたるまでの人間の運命についてのパースペクティヴを現在的なもののなかに見ることを意味する」(「危機の本質」)。
 こう説くオルテガは、「過去を忘れたり過去に背を向けたりすることは、今日われわれが直面しているような結果を、つまり人間の野蛮化をもたらす」(「観念と信念」)とまで警鐘した。過去が深く現在と結び合わされているとすれば、それは未来も同様である。当然、「すでになしてきた生の経験は、人間の未来を制限する」(「体系としての歴史」)のは言うまでもない。
 時間の概念をこのように考えるオルテガにして、時系列を細切れにする理性的歴史認識とその典型たるヘーゲルは彼に敵するものである。「形式主義の彼の論理を歴史に注入したヘーゲル」(「体系としての歴史」)。オルテガはこのようにヘーゲルの歴史哲学を批判した。
 このヘーゲルを一つの典型とする、理性による歴史認識こそ、オルテガが克服せねばならないと考えたものである。したがってその淵源をなすデカルトもまた批判の俎上にのぼる。
 「近代合理主義の祖デカルトの体系の中では、歴史はその場所をもたない、と言うよりはむしろ追放されている」(「現代の課題」)。そのゆえんは、理性なるものが、「時間を貫いて不易不変に運動し、生けるもののしるしである有為転変には無関係の、非現実的な妖怪」(同上)だからである。したがってそれは、過去の人間の生をまるごと引き受ける歴史の実体をとらええない。人間を、「存在を累加し続けてゆく、すなわち過去を蓄積し続けてゆく」(「体系としての歴史」)存在、換言すれば、「彼の経験の弁証法的連続において存在をみずから形成し続けていく」(同上)存在とみなすオルテガにとって、そうしたものをとらえうるのは、「論理的理性のそれではなくして、まさしく歴史的理性のそれ」(同上)であった。そうであればあるだけ、デカルトの罪は深い。
 「デカルトにとっては、人間とはいかなる変化もなしえぬ純理性的存在であった。だから、かれには歴史は人間における非人間的なものの歴史と見られることとなり、われわれを理性的存在たることからたえず引きはなし、反人間的な事件へとおとしいれる罪深き意志を決定的に歴史に帰することとなったのである」(「哲学とは何か」)。
 そうしたオルテガにして、理性に代え、ディルタイの言う「解釈」や「理解」という概念を歴史に投じようとしたのは先に述べた通りである。オルテガは言う。
 「歴史とは、その最も根源的な原理、その固有の研究形式からしてすでに解釈であり、注解(嵌めこみ)であって、これは、個々の事実をひとつの生、ひとつの生きた体系のなかに組み入れることを意味するのである」(「危機の本質」)。
 以上のオルテガの歴史に対するとらえ方は以下の言葉に尽くされる。少し長い引用になるが、オルテガの歴史に対する姿勢が過不足なく、また遺憾なく開陳されており、歴史否定を相克しうるヒントがここにこそある。その言葉をもって本稿の結びとしたい。

 歴史とはまさに、かつてあったことをふたたびよみがえらせ、それを理念のなかでもう一度体験しようとする試みにほかならない。歴史はミイラの陳列であってはならぬ。歴史は、それが現実にあるところのものとならねばならない。それは蘇生への、復活への熱烈な試みだといってよい。死にたいする光栄ある戦いなのである。だから、一切の人間的なものが、というのは人間の生が、そこから湧きでてくるところの、そして、そこにおいてのみ生が現実性をもっているところの、あの永遠の泉――この泉からどのようにして湧きだしてくるかをしめさないかぎり、なにかをほんとうに物語ったとか、歴史的に叙述したとかいうことはできない。このような意味で、わたしが歴史という語によって理解しているのは、一切の事象をばその過去性を越えて、それの生の源泉にまでつれもどす仕事をいうのである。こうすることによって、わたしは、それの誕生に立ち会う――いや、むしろこういいたい――もう一度成立し存在するようそれを強いるのである。それをいわば新生児として、生まれたときの状態(status nascendi)に置かねばならないのである。歴史というものは、われわれが人間の過去全体をはかりしれざる潜勢的な現在に変え、現実にわれわれのものであるところのものを澎湃たる巨大な力にまでひろげることを得させてくれるものである(同上)。