戦争の光、平和の影――福田恒存の命題(その九)局地戦争もまた、れっきとした戦争である


 【命題】
 一挙に全人類を死滅せしめる原水爆は「悪魔」であつて、一挙に全家族を殺す爆弾は「悪魔」ではないのか(「現代の悪魔」)。


 健全な精神は、原水爆を「悪魔」と見る前にダイナマイトを「悪魔」と見、爆撃機を「悪魔」と見る前に旅客機を「悪魔」とみるであらう(「現代の悪魔」)。

                            
 「平和は分割可能である」ということの非情
 以前にも引用した坂本義和は、冷戦の終結により今後、仮に不幸にして戦争が起こっても、多くはそれが局地化されるだろうとの見通しを肯定的に述べる。その理由の第一は、米ソ間に戦争が起こる可能性が減じ、結果核兵器による全面戦争の危機が回避される状況が出現したこと。第二は、冷戦期であれば、一地域で起こった紛争に、米ソ、あるいはどちらかの陣営に属するある国が介入すれば、自動的に一方も何らかの形で介入せざるを得なかったのに対し、冷戦が終結した今そうしたことはなくなり、それぞれの国が自国の利害を冷徹に分析した上で、多くは選択的に地域紛争に介入するだろうからである。そうした理由により坂本は、次のように戦争が局地化される見通しを語る。「核戦争の危険の相対化は、世界戦争の危険の相対化であるから、その反面で、戦争の地域化あるいは局地化という形での、戦争や武力紛争の相対化をもたらした。もともと紛争そのものは、多くの場合、局地的発端から始まるものだが、これに対して国際社会が、紛争を局地化するという対応を示す傾向が顕著になったのが新しい特徴なのだ」(『相対化の時代』岩波新書、平成九年)。
 したがって、地球全体が戦場になるという状況に代わり、「局地戦争」が行われている場と、そうでないいわば「平和地域」とがしばしば併存する状況がこれからは出現するという見通しを述べた。そうした状況を受け坂本は、かつて戦間期ソ連の外相リトヴィノフが、国際連盟の創設に象徴されるように今後は、地域紛争に対し世界が何らかの形でコミットする時代に入り、その意味で「平和は分割不能(indivisible)である」と語った言葉を逆手にとり、今はそうした次第で「平和は分割可能(divisible)である」とした。したがって、これからは「戦争と平和との共存」を可能ならしめる世界になるだろうとし、次のように述べた。「こうした戦争・紛争の相対化による局地化の帰結として、平和と局地戦争との共存が、むしろ世界の常態にさえなってきた。戦争と平和との共存の日常化である」(坂本、同上書)。
 つまるところ坂本の以上の論は、冷戦構造が終結したことに伴い、これまでの核兵器による全面戦争の危機に代わり、今後は紛争が局地化されることを肯定的にとらえることに力点がおかれる。もっとも、局地戦争とはいえ、その当事者にとっては立派な戦争であることには違いはない。坂本の論は、伝染病患者から如何に健常者を隔離するかという論議に似、不幸にして局地紛争に至った地域から如何に平和な地域を隔離するかという、局地戦争の局外にある者の極めてエゴイスティックな論理であるように思われる。またそこに見え隠れするのは、全面戦争の恐怖を一旦経験した我々が、れっきとした戦争に他ならない局地戦争にさほど驚かなくなってしまったという感覚のマヒがある。実は、とりわけその後者を福田は憂えた。
 福田によれば、人々に「たかが局地戦争」という感覚を植えつけたことにこそ核兵器出現の恐ろしさがあるとし、シニカルにこう述べる。「原水爆はやはり『現代の悪魔』である。なぜなら人々はこの『大悪魔』の威力に恐れて、世に『悪魔』と呼びうるものはそれのみと思ひこみ、その他の『中悪魔』『小悪魔』の存在を何程のものとも思はなくなつてしまつたからである」(「現代の悪魔」)。
 そこで福田は、「大悪魔」にのみ焦点をあてた、反核運動を支える論拠の問題点を次のように指摘する。「『大悪魔』の威力を封じる運動が、ただそれだけで最高の美徳となり、世界戦争を避けるための努力が、局地戦争の犠牲を覆ひ隠す。この、いはば価値に対する無感覚と混乱こそ、『悪魔』との取引にほかならない」(「現代の悪魔」)。
 反核運動に見え隠れする悪しき「価値相対主義」。これこそが問題だとし、福田は言った。「全人類を殺せる核兵器が『悪魔』で、五人しか殺せぬダイナマイトが『悪魔』でないと考へる人は、すべての価値を数量で割切るといふ最も現代的な『悪魔』の思想に囚れてゐる事を反省してみるがよい」(「現代の悪魔」)。


 「万物の尺度は人間である」
 「万物の尺度は人間である」とは、古代ギリシャソフィストプロタゴラスの有名な言葉であるが、ほかに彼はこうも述べる。「神々については、彼らが存在するということも、存在しないということも、姿形がどのようであるかということも、私は知ることができない。それというのも、それを知ることを妨げるものが多いからだ。すなわち、(このような主題には)確実性というものがないし、人間の生は短いからなのだ」(「断片」四、廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』講談社学術文庫、平成九年)。
 つまるところ以上の彼の言は、所詮、価値には絶対的なものはなく、それらは相対的に存在するにすぎないといういわば「価値相対主義」の表明である。こうしたソフィストたちを本格的な嚆矢とし、現代に至るまで価値相対主義哲学史上の重要な一翼を担ってきた。現代においてもその亡霊はこの世を闊歩する。価値相対主義という観点から福田は反核運動を批判したが、その世界的指導者であるラッセルもまたこの立場に立つことで知られる。
 ラッセルは、価値なるものは所詮、「かき」の好悪と同様だとしてこう述べる。「もし一人の人が『かきは旨い』と言い、他の人が『それは不味いと思う』と言うとすると、われわれは、そこには論議すべき何ものもないと認める。かきなどよりもっと高尚と思われる事柄を取扱う時、とてもそのようには考えられないが、今取上げている理論は、価値に関するすべての相違はこのようなものだと主張しているのである。このような見解がとられる主な原因は、どちらかが本質的な価値をもつことを証明する論証を何も見出すことができないということにある」(津田元一郎訳『宗教から科学へ』荒地出版社、昭和四〇年)。
 同じ本の別のところでも、価値が所詮は相対的なるものに過ぎないという所説を次のように記す。「われわれはこれが善であるとか、あれは善であるとかいう時、何を意味しているのか明確にしようとすると、甚だしい困難に巻きこまれる。快楽が善であるというベンサムの信条は猛烈な反対をまき起した。そして、豚の哲学だといわれた。だが、かれも、かれの反対者達も、何らの根拠を提出することが出来なかった。……これが窮極的善であるか、あれが窮極的善であるかということに関しては、どちらにも立証がない。各論争者は自身の感情に訴え、相手に同じような感情を呼び起すような修辞的術策を用いることができるだけである」(ラッセル、同上書)。
 他に、価値相対主義の観点からの平和論として、ドイツの法哲学者ラートブルフのそれがある。ラッセルと同世代の彼は、価値相対主義の観点から、価値観、世界観の対立を、とりわけ「正義」という観点から一義的に解決することの否を唱えた。価値観、世界観の対立を解決しようとするからこそ「正義」の名のもとに戦争が起こるのであり、したがって戦争の淵源をなす「正義」を後衛に退かせ、それぞれの価値観、世界観を尊重した上で、何よりも、平和の維持、確保こそが大事だとし、それを担保するものとしての法的安定性の重要なるゆえんを述べた。彼は、「正義は法の第二の偉大なる任務であるのに対し、その第一の任務は法的安定性であり、平和である」とした上で、こう述べた。「法的見解に対する争いに、法律をもって結末が与えられ、また個々の法律事件に対する争いに、法的に有効なる判決をもって結末が与えられるということが正義にかないかつ目的にかなった結末が与えられることよりも重要であり、法秩序の存在することが、その法秩序の正義よりも重要である」(鈴木敬夫『法哲学の基礎――ラートブルッフ法哲学』成文堂、平成一四年)。


 「クレタ人はうそつき」――自己言及のパラドックス
 「クレタ人はいつもうそつき」とクレタ人自身が言ったと、『新約聖書』の「テトスへの手紙」にある。「自己言及のパラドックス」を説明するのに、しばしば引き合いに出される言葉である。ここでクレタ人自身が、「クレタ人はうそつき」と言及しているが、クレタ人がうそつきだとすれば、「クレタ人はうそつき」と言うこともうそになってしまう。という訳で「クレタ人は正直者」ということになるが、そうすれば「クレタ人はうそつき」と言ったそのクレタ人は、「クレタ人は正直者」であるはずなのにうそを言ったことになり、ここに自己矛盾が生じる。対象だけではなく、自己のことをも含めて言及しようとすると発生するパラドックスゆえに、「自己言及のパラドックス」と呼ばれる。
 価値相対主義もまた、自身のことを含めれば同じような自己矛盾に陥るとしてこのパラドックスのスキームを援用し批判を加えうる。「クレタ人」を「価値相対主義者」に置き換える。曰く、「価値相対主義者は言う。『すべての価値は相対的なものにすぎない』」。もしその命題が正しいのであれば、価値相対主義の主張そのものもまた絶対的ではないことを意味するという自己矛盾に陥る。価値相対主義には、それを主張すればするほど、いよいよ自己の主張の基盤を失うという自家撞着が延々とつきまとう。しばしば相対主義ニヒリズムと誹られるゆえんである。
 ところで、ラッセルはこのパラドックスの回避を期し、論理学の観点から結果、自己言及を禁じることこそがその道だとした。「悪循環原理」として知られる原理――ある集まりが、その全体によってしか定義できない要素を含む場合、その集まりは全体を持たない――の定式化である。自己言及を禁じたこの悪循環原理により、「クレタ人はいつもうそつき」のスキームから、価値相対主義を批判することは不可能になる。無論、ラッセルは数学者、論理学者としての立場からこの原理の定式化を試みたのであろうが、それは結果的に、価値相対主義者としての自らの立場をも救う。
 ただ、ラッセルが如何に自己言及を禁じようと、閉じられた論理学の世界内の話ならともかく、実際問題として価値相対主義は、どうしても悪としかならない価値でも等しく尊重しようという立場ゆえ、その悪を批判する基盤を失う。そのことにやがてラッセルも気がつく。『西洋の知恵』の中でラッセルは、その心情を次のように正直に吐露した。
 「仲間に理不尽な残虐を加えることが悪いのはなぜか、その科学的理由は述べるわけにいかない。私には悪いことのように見えるし、この見かたを懐いている向きが相当に広いかと私は考える。残虐が悪い事であるのはなぜかについては、私には、どうも十分な理由が挙げられそうもない。これはむずかしい問題で、決着をつけるのには時間がかかる」(東宮隆訳『西洋の知恵』下巻、社会思想社、昭和四三年)。
 こう聞かされると、反核運動に際して座り込みまでし、果ては投獄までされるほどに核兵器を悪とみなした彼の確信は、奈辺にあったのかと思わざるを得ない。


 相対主義の泥沼
 社会評論家として福田が本格的に論壇に登場するきっかけとなった論文「平和論にたいする疑問」(『中央公論』昭和二九年一二月号)で、福田が平和論者に投げかけた批判の一つは、基地における学童の教育問題であれ、軍用機の騒音問題であれ、そのこと自体を問題にするのではなく、それを反米や安保反対というところにまで話を拡大し論じるその論法にあった。往々にして平和論者にはそうした論法の飛躍が多く、逆にいえば「現地解決主義」で臨めないゆえんを福田は、彼らが依っているところの価値相対主義の弊害から論じた。
 例えば、基地における学童の教育問題なら、その問題自体の是非を計る「絶対的な」尺度というものがあるはずだが、平和論者はえてしてそういう尺度を持ち合わせていないゆえ、いきおいそうした問題の是非が単に「現象相互間の関係」に委ねられざるを得ない点を指摘する。この点に関して福田は言う。「Aといふ一つの社会悪を除去するためには、Bをかたづけなければならない、それにはCを、さらにDを、そんなふうに一廻転して、Zまで来たあげく、やはりAをさきに、といふことにもなりかねない。そこで『ええい、面倒だ、暴力革命をやつちまへ』といふ声も起る。が、そのあともやはりおなじことです。A、B、C、D…Z→Aがくりかへされる」(「個人と社会」)。
 福田によれば、価値相対主義の弊害のまず一つは、ある物事や問題の価値が、単にそれら相互の関係でしか決まらないので、それが非常に流動的である点にある。福田は言う。「相対主義にとらへられた現象といふものは、たえず流動してをります。流動してゐるものしか見えないのが相対主義です」(「個人と社会」)。
 さらに関係相互の価値が往々にして質の良悪ではなく、単に量の多寡によって計られがちであり、その点にも問題があるとする。その点を福田は、「それは量の世界しか見えない。質の世界とは無関係です」(「個人と社会」)となした。流動的であるという点。さらには質よりも量で計られる点。平和論者の方法論の根底にある価値相対主義は、そういうあやふやなものである点を福田は指摘した。
 いずれにせよ、価値相対主義は福田にとっては唾棄すべきものであり、何としても克服すべき思想上の課題であった。別のところでもこう記す。「現在の私たちは単純な相対主義の泥沼のなかにゐる。なほ悪いことに、私たちはそれを泥沼とは感じてゐない。たいていのひとが相対主義で解決がつくとおもつてゐます。が、私は戦後の混乱のほとんどすべてが、この平板な相対主義の悪循環から生じてゐるとおもひます。私自身、ものを考へ、判断するばあひ、これにはまつたく手を焼いてをります。それについて詳しく書く余裕はありませんが、超自然の絶対者といふ観念のないところでは、どんな思想も主張も、たとへそれが全世界を救ふやうな看板をかかげてゐても、所詮はエゴイズムにすぎないといふことを自覚していただきたい」(「日本および日本人」)。
 「全世界を救ふやうな看板」、すなわち反核運動はその赴くところ、通常兵器にて行われる地域紛争を「局地戦争」とかたづけ、それに関わる者たちをある意味で突き放すという極めてエゴイスティックな感覚を植えつけた。なるほど福田の言う通りではある。