一人芝居『友情』(原作:西部邁)が上演されます。

西部邁先生原作のノンフィクション、『友情』の劇場版が、下記のとおり上演されるようです。

あの鈴木一功一人語り『友情』が東京へ帰ってきた。
主人公の海野と西部邁は戦後まもなくの札幌南高校で出会い、
かたやヤクザの幹部、かたや東大の教授となるのだが、
終世「友の情けを尋ぬれば 義のあるところ火をも踏む」
と敗戦後の日本を真剣に生きたのである。
ノンフィクション、一人芝居、いま男の友情物語が熱い。


原作:西部邁
脚本:喜一朗
演出:仲田恭子
日時:12月25日(木)開演:14時 19時
会場:新宿ゴールデン劇場
http://www.d5.dion.ne.jp/~ichiwaka/top.html

友情

友情

「おかわいさうに」と憲法改正


 憲法改正のゆくえ
 「おかわいさうに」は三島由紀夫が「戦後日本の大衆」を指すことばとしてよく用いた。戦中、アメリカの捕虜兵を見て或る女性が「おかわいさうに」といって当時世間から非難を浴びたことを引き合いにし、思想や観念を度外視し、低い次元で右往左往、同情を振りまき続ける偽善をこう呼んだ。昨今の憲法議論を含め政治を観察するにつけ、三島の嘆きが聞こえてきた次第である。
 去る年、安倍元首相の政権公約の中心に掲げた憲法改正には保守主義者のみならず国民の――少なくともマスコミに群がるテレビ視聴者の限りでは――いくらかの高揚感があったのは記憶に新しい。もっとも、高揚感はあくまで高揚感であり、テレビ視聴者としての刺激の一環で、観念ではなく情動であった。情動性もあいまって、安倍首相の参議院選挙における歴史的な大敗北により衆参がいわゆるねじれ現象を引き起こし状況は一気に転じた。「戦後レジームからの脱却」として掲げられた憲法改正という政策のエネルギーは那辺かに霧散したようには見られているであろう、あたかも能力のない政治家による誤った改憲がなされることを未然に防いだものとして。
 ところが改憲論議が国会から完全に閉め出された訳ではなく、福田政権下においてもなされている。五月三日付けの日本経済新聞にはおそらく誰もが興味すら持てずに聞き流していたであろう小沢・福田の党首討論において、いくつかの憲法改正についての論議の余地があるという内容が記されている。
 まず両者とも、改憲の必要性そのものは認めている。この点、自民党の新憲法起草委員会や民主党のかねてからの指針とも合致する。問題はその内容で、参議院選挙後のいわゆる衆参ねじれ状態がもたらす害が、議論そのものを沈静化はもちろん高次から引きずり降ろした。それにはいくつか原因があり、ひとつは改憲が日本の大衆にとって、あまりに抽象性の高い議題であり、選挙前に問題になったことになっている社会保険庁や政治家のスキャンダルの方に国民は意識が向かったことが挙げられる。これに牽連される格好で、憲法議論もメタファーの壇上から大きく垂れた。
 また改憲という政治的に大きな意味を持つイベントには、強い指導者が矢面に立ち、或る程度の言葉を、ある程度の振る舞いでもって、ある程度の思想を掲げなければならない。同記事の言葉で「首相が表立って動けない状況」はそれができない状況をよく示している。つまり野党の協力が必要な状況では、「生活第一」という――小沢代表の口から出るフレーズとしては甚だ噴飯物であるが――野党におもねる必要性が、ほとんど物理レベルのうちにでてくる。したがって、生活レベルで国会運営する方針となる。穏健派の福田氏ならなおさらである。


 生活第一と憲法
 では、党首討論でもたれた憲法改正の論点、「四つの条文と六つの論点」はいかなるものであったか。技術論になると長くなるので簡潔に書くとする。
 ひとつは四二条の二院制である。町村信孝氏が官房長官補佐時代に一院制が望ましいと公言したことから現在のねじれ国会まで、自民党では参議院に否定的である。その真意は単純で、国会よりも内閣に権限を集中させることである。抽象的な物言いになって恐縮だが、小さい政府、効率化、合理化、国民の声が直接届く衆議院、という「ある種の」流れが見て取れよう。
 次に五九条の衆院の再可決。小泉政権の「郵政解散」のときに問題になったことは記憶に新しい。つまり、衆参の法案の可否が異なった場合、衆議院での再可決をよりスムーズにするため、「衆議院の三分の二の再可決」というハードルを下げようではないか、という議論。
 くわえて五九条のみなし否決の期間短縮。ガソリン税問題から、衆議院で可決したが参議院で六〇日以内に結論が出ねば否決とみなす条項を、短縮するべきだという議論。これらいずれも、四二条のある流れに属するといえる。
 次に六〇条、予算の衆院優越。事実上、強行採決で無力化しうる条文であり、議論の必要性が唯一あるだろう。
 六一条。条約承認の衆院優越。在日米軍への駐留経費負担いわゆる思いやり予算が二〇〇七年度内に承認されず、空白期間ができてしまったことの反省から、「参議院の三〇日以内に議決しない場合には承認」についての議論である。これも四二条の「ある流れ」であり、さらに彼らの思想的な「お里がばれているよ」と皮肉のひとつも言いたくなる。
 最後に、憲法に規定はない同意人事について。日銀総裁人事でもたついたことから、現行の衆参の合意がなくとも、衆院で決めてしまおうという議論。
 以上、議題となった条文を駆け足で追ったが、読んで頂いたことに一言お礼を言いたくなる、実にロマンのかけらもない議論群である。生活第一とは、政治が技術的な国会運営に「ある種」のエキスを注入することで、マスコミ的で実存的な諸問題に対応したように見せ、お茶を濁すことにある。ここで政治家の資質が問題だなどと結論づけることはいかにも短絡で、むしろ「おかわいさうに」と瑣末な時事談義を趣味とする人々の盲動的投票行動が、ねじれ現象を起こし、これらの議論に落ち着いたと言え、福田首相の咎は二の次であろう。
 また先述の紙面では、中山太郎自民党憲法審議会長のインタビューがあり、安倍首相は憲法議論を言い過ぎた。また民主党が護憲の社民と組んでいるから憲法議論がかくも低い次元に堕した、という言い訳に近い趣旨の発言がある。
 本来、長年国の内外で問題となっていた日本の国防を含めた議論の契機が形成されたことに有益性があると考えるべきで、具体的で合議するための準備が簡単な話を進めれば、やがて抽象的で難解な話も見えてくるでしょうよという、いかにも日本人好みの帰納法的な議論過程である。小沢代表の掲げた「生活第一」という言葉は、政治家の思考法、議論の作法にまで根付いていると言わざるをえない。
 政治家たちまで「おかわいさうに」に、つまり、「おかわいさうに」が政治家と相対化し、情にかまけて全体を見失えば、かくて世論の大暴走、民主主義の喜劇性が前面に押し出される。


 日本人は憲法が苦手である 以上のことから、憲法議論は大いに停滞していると言わざるをえない。聞けば国民投票法で設置された憲法審査会も、事実上、休眠状態であるという。むしろバックラッシュ的に、安倍首相の作った流れが転用されたともいえなくもない。もっとも、戦後長く金科玉条として尊ばれた憲法が、なんであれ、改正という経緯を経て「一〇円傷」でもいいので改正すればよし、と広く見ることもできよう。しかし、プロセスとなる議題が、出た結論が、かくも粗末におさまれば、一〇円傷から致命的な感染症を起こすこともあるだろう。むしろ議論に入るための、一種のスイッチが必要であるように思う。法哲学者、井上達夫風に言えば、「縦の力」が致命的に日本人に欠けている。かつての日本人ならば、一神教はもたずとも、もろもろの哲学なり神々を包括して、さらに社会統合による共同体の分厚い「横の力」を蓄えて、地味ではあるが骨のある人間たちであったように思える。
 以前、宮崎哲弥氏のラジオ番組で、生放送で聴取者に憲法の是非を問うものがあった。津々浦々の生活者に電話し五名ほどの生の声を聞くという趣旨の番組だが、番組は議論というより個々の演説に近かった。最後に宮崎氏がつぶやくように「やっぱ、日本人には憲法が向いてないわ」と言ったのが象徴的であった。もっとも聴取者のやり場のない主張の熱にも多少同情はする。聴取者にすれば、やはり横のつながり、酒場や床屋で議論できないから、ラジオに電話をかけてみたらなんだか余り実りがなかった、程度のことであったことだろう。宮崎氏の話をまとめようとする努力がなんだか寂しく思えた番組であった。
 憲法は生活レベルの、おそらく哲学や文学から遠く離れたような人々が見えうるもっともメタ化された言葉である。だからこそ、エリートたる政治家がメタの所在地を明晰に、真に表してしかるべきで、世人の声だけ聞くなら、地盤沈下する一方である。あれだけ盛り上がった大衆も、いまや憲法改正反対が超える始末である(読売新聞、今年四月付けの世論調査)。
 「おかわいさうに」が自分に向けられ、矮小な個が蔓延する昨今、たとえ盲動であれ強権的であれ、安倍政権下で、国会運営の機能論的憲法学を超えた、大きなうねりが国会を通じ、あってもよかったものをと、嘆かざるをえない。

《書評》鈴木謙介著『サブカル・ニッポンの新自由主義――既得権批判が若者を追い込む』(ちくま新書)


 新自由主義=既得権批判
 鈴木は本書で「新自由主義」の由来と問題点について論じている。ただし本書には、ハイエクフリードマンサッチャーレーガン、あるいは中曽根や小泉といった名前はほとんど登場しない。それは鈴木が、「新自由主義」をイデオロギーや具体的な政策パッケージというよりも、むしろ潜在的なレベルで現代人の思考に刷り込まれている「価値判断のモード」として取り上げているからだ。個人の能力が自由に発露されることこそが素晴らしいのだという気分のようなものが、暗黙の前提として我々の思考を条件づけていると言うわけである。
 鈴木が注目するのは、若者の不安定雇用を生み出したとされる一連の「規制緩和」や「自己責任論」に対する非難の声が、いつの間にか「もっと雇用を流動化せよ」というロジックにすり替わっているという現象である。そういえば私も、「格差社会問題」について佐藤俊樹山田昌弘三浦展らの著作を立て続けに読んだ際に、全員が「機会の平等をもっと確保せよ」という主張に収斂していたのが記憶に残っている。
 こうなってしまう理由は、鈴木によれば、巷間の「格差社会論」が結局のところ「既得権批判」でしかないからだ。「ワーキングプア」や「ロストジェネレーション」(就職氷河期世代)の利益を代弁する論壇は、豊かさを満喫してきた「団塊の世代」や、現在の就労世代の「正社員層」に対する怨望をむき出しにするだけで、つまるところ「その既得権を俺たちにもよこせ」と世代間・階層間対立を仕掛けているだけなのである。そして「私たちの能力は正当に評価されていない」、「私たちの境遇は、私たちに相応しいものではない」と言うわけだから、既存のルールを解体して新しく公平な競争を導入せよという主張に切り替わっていくわけだ。本当は、新しいルールに変更したところで自分が勝ち組に回ることができるかどうかは、全く分からないにもかかわらずである。


 「ワープア論壇」の幻想
 ワーキングプアやロストジェネレーションの若者たちが欲しているのは、先行世代が享受していたような安定雇用であり、家庭での幸福や職場での成功を伴う「一人前」の人生である。しかし鈴木は、彼らの憧憬が幻想にすぎないことを指摘する。
 第一に、団塊世代も九十年代以降は「いつクビを切られるか」と戦きながら暮らしていたのであり、しかも引退してみれば年金がまともに支払われるのかどうかも不透明という状況で、大した既得権は持っていないということ。そして第二に、「情報社会」や「消費社会」の産業は、そもそも大量のホワイトカラー正社員を必要としないということだ。
 高度成長が一巡りして「消費社会」の時代に突入し、情報技術等の発達によって業務が高度に効率化されてしまった現代では、企業の正社員が持つべき能力は「クリエイティブな能力」――本田由紀によれば、実行力、コミュニケーション能力、プレゼンテーション能力、シミュレーション能力、ネットワーク力、異文化理解能力などのこと――である。つまり単純化して言えば、企業はひと握りのクリエイティブな企画職の正社員と、接客や製造の現場に従事する非正規雇用の単純労働者が居れば十分で、従来のように分厚いホワイトカラー層を抱える必要がなくなってしまっているというわけである。


 「新自由主義=既得権批判」の由来
 鈴木はもともと情報社会論を論じている社会学者で、本書でも「価値判断のモード」としての新自由主義=既得権批判のルーツを、情報社会の歴史に求めている。
鈴木は二〇〇〇年代における韓国の大統領選挙に大きな影響を与えたネット上の運動を紹介して、日本と同じように韓国でも、ネット社会が怨念に満ちた「既得権批判」を生み出しがちであることを指摘する。なぜ現代の情報メディアは既得権批判を生みやすいのか。鈴木の仮説は、半世紀ほど前にその基礎を創り上げた人たちこそが、そもそも「既得権批判」という理想に駆動されていたからであるというものだ。
 鈴木はそのルーツを訪ねて、六〇年代アメリカの「ヒッピー」と「ハッカー」の文化を取り上げる。あらゆる管理から逃れた真の自由や感性の全面的解放を理想とするヒッピーの一部に、テクノロジーによる解放を目指した連中が居て、彼らは情報メディアの中にその理想を持ち込んで行った。また、当時のハッカー――「コンピュータ狂」というぐらいの意味――たちは、情報技術が旧来の労働倫理と結びついてビジネス世界を強化し、自由な生活を侵食したり情報管理を進めたりすることに反対して、純粋に個人のハッキング能力だけが価値評価の基準となるような、自由な情報空間を理想としていた。R・バーブルックとA・キャメロンという学者は、この二つの理想が「反権威主義」を接点にして結びついたものを「カリフォルニアン・イデオロギー」と呼び、それが現代のネット技術の発展を方向付けてきたと主張しているらしい。
 こうして生まれた「カリフォルニアン・イデオロギー」が、情報技術の担い手たちの間で、「個人の能力」の発露を至上のものと崇め、あらゆる既得権に攻撃を仕掛ける「新自由主義」の気分を形作っていくことになった。しかも皮肉なのは、彼らがどのような情報環境を作り上げようとも、時間が経てばその環境自体が後続世代から「既得権」として批判されるということだ。もともと情報社会の発展は、新しいメディアを獲得するたびに、より開放的で民主的な環境を求めて先行世代のメディア環境を攻撃するという、「世代交代」と「既得権批判」の繰り返しで成り立っているのだと鈴木は言う。


 サブカル共同体による癒し
 生活の安定や平等を求めながらも逆説的に雇用の流動化を促してしまうという「既得権批判」の背景には、情報社会化と消費社会化によって生まれた、個人の「クリエイティブな能力」こそがものを言うという環境があった。そして、そもそも情報メディアの発達の歴史そのものが、既存の秩序の解体と個人の能力の解放を推し進めるとともに、システム外部に取り残された人々や後続世代の人々から、いずれ「既得権」として批判されるという繰り返しなのだった。
 この泥沼から抜け出すために鈴木は、情報社会に仕込まれた理想のうちの一つである、ヒッピー的な「アナーキズム」に可能性を見出そうとする。
 アナーキズムの理想として鈴木は「反権威」「自発的連帯」「人間の自然状態の肯定」を挙げているが、鈴木はこれらの理想を根拠として新自由主義的な市場競争そのものの解体を主張するわけではない。鈴木は、競争における敗者のために、「自己責任」を強要する市場競争とは別の場所で、「そのままで認めあえる関係」による「存在論的安心」を確保することを主張する。「生存がそのままで承認される共同体」で「癒し」を得て、再び市場競争へ挑戦せよと言うわけである。そのための場として鈴木は、ネット上の「ヴァーチャルコミュニティ」や、「サブカルチャー(への関心を共有する)共同体」を最大限活用するよう促している。たとえば「ニコニコ動画」――コメントの書き込みによって視聴者同士が交流する動画閲覧サイト――のような、そこにいるだけで楽しめる「承認の共同体」で得た自己肯定感を元手にして、外の世界の価値観に侵食されないタフネスを磨けというわけである。
 その一方で、貧困層へ転落するほどの敗者に対しては、国家が保障を提供しなければならない。したがって鈴木が想定するのは、新自由主義的な「市場競争」、アナーキズム的な「(サブカルによる)承認の共同体」、そして国家による「社会保障」という三つの領域が、バランスよく相互依存関係を保っているような体制である。


 二つの問題点
 本書の議論は、「市場競争」「承認の共同体」「社会保障」という三つの領域のバランスに着目している点で、その他のヒューマニスト的な格差社会論に比べれば優れているし、新自由主義を「既得権批判」という価値判断のモードとして取り出し、現代人がその泥沼のような怨望の連鎖にはまっていると指摘しているのは、(せせこましい気もするが)一つの見方としては面白い。
 しかし、新自由主義への対抗策が、サブカルチャーを糧とした「生存がそのままで承認される共同体」による「癒し」であるというのは少々短絡的ではないのか。本書の議論の問題点を二つ指摘しておこう。第一に、本書は若年層の不安定雇用の問題から出発しているのに、雇用を増やすための方法は全く論じられていない。それは鈴木が、情報社会化・消費社会化を不可避のものとして受け入れてしまっているせいで、そもそもそんな方法は存在しないことになっているからだ。そして第二に、「市場競争」「承認の共同体」「社会保障」という三つの領域の間のつながりについて、鈴木は「相互依存」と言うだけで実質的にはほとんど論じておらず、むしろ切り離してしまっている。とくに「社会保障」は取って付けたように唐突に登場するのみだ。
 鈴木は、「新自由主義」という価値判断のモードが、「これ以外にはあり得ない」という宿命論として現代人の脳裏に刷り込まれていると指摘し、その「宿命論的な何か」こそが「新自由主義」の本質であると言っている。思想的に最も肝心なのは、その宿命論をもたらしている「何か」を明らかにすることであろう。
 私には、その解答はやはり「保守思想」の方向にあると思われる。包括的に論じる準備ができていないので、以下、簡単なヒントのみ書き留めておくことにする。


 能力は人々の「間」にある
 個人の能力に全責任を負わせ、競争を至上のものとする新自由主義を、「これ以外にはあり得ない」と思わせる「宿命論的な何か」とは何なのか。それは、「能力は個人のものである」という思い込みであると私には思われる。これはヒッピーやハッカーの理想よりももっと根深い、近代主義的な「主体(性)」の問題だ。
 能力というのは、本来は人々の「間」にあるものと考えるべきではないのか。その意味は二つある。第一に、「能力」は他者との交わりの中でこそ備わったり鍛えられたりするものであるということ。第二に、そもそも「能力」の意味(何をもって能力とみなすのか)は、人々の社会的な交わりの中で、コミュニケーションが紡ぎ出す物語として生成されるものだということである。
 後者について、話を分かりやすくするためにひと昔前のポストモダニスト風に言い換えれば、人と人との間にある種の「差異」が見出された後に「能力」という解釈が作られているのであって、個々人がアプリオリに「能力」というものを持っていたりいなかったりするわけではないということだ。そう考えておけば、「能力」を問題にする前にまず「差異」ありきということになって、差異ありきということは「関係」ありき→「コミュニケーション」ありき→「共同性」ありき(さらには→「歴史」ありき)というふうに理屈が展開されるはずである――ちなみに、かつて「差異」から一方的に個人主義が導かれたのは、ポストモダニストのたちの軽率に過ぎない――。
 そうすると、「市場競争」と「承認の共同体」と「社会保障」の三つの領域を、(区別する必要はあるだろうが)切り離す必要はなくなってくる。「能力」の意味が人々の関係性や共同性に由来しているのだとすると、「共同性」(あるいは共有された「物語」)が破壊されれば人々の間の「能力差」も意味を失うわけで、能力を重んじるのであればあるほど、「共同性」が破綻しないよう配慮する必要があるからだ。逆に言えば、「能力主義者」は個人主義を採用した途端に「無能力主義者」となるのである。「社会保障」を強者の側から正当化するための論拠もここにある。


 国力論
 これは、まさに中野剛志氏の「国力論」のような議論が、今こそ必要とされているということでもある。前節の議論に結び付けて言うと、「国民性」なくしては、「能力」の意味が定まることも、それが発揮されることもあり得ないということだ。そうした能力はもちろん、社会の「経済的活力」の源泉でもある。
 もはや「消費社会」のような個人主義的な方向に、開拓すべき欲望のフロンティアは存在しない。残存するとしてもそれは、中国やインドで製造可能な工業製品だったり、ひと握りの「クリエイティブ層」だけが活躍できる情報産業だったりして、若者の雇用が増えるようなものではないだろう。むしろ今必要なのは、「我々に必要なものを、我々の手で作り出す」という原則に帰ることであって、たとえば「国産の食糧」とか「美しい景観」とか、あるいは「信頼に満ちた地域コミュニティ」や「他国の言いなりにならずに済む程度の国防力」といったものに我々の「欲望」を振り向けて、ナショナルな実体と意味を伴った需要を生み出すことではないのか。
 「ワーキングプア問題」を解決したいのであれば、消費社会論の延長で「敗者に癒しを与えるサブカル共同体を活用せよ」と言ってみたり、取って付けたように「社会保障も一応必要です」と言ってみたりするのではなく、それらすべてを結び付けるものとしての、そして経済的活力の源泉としての「ネイション」に目を向けることだ。少なくとも、その方向で解決策を探る本格的な議論が開始されなければならないのである。

負の神としての「悪魔」について


 日本在住の欧州から来た人物と酒場で話していた時のことである。文化の違いをあれこれと話すのは楽しいものであるが、中でもキリスト教の考え方について話を聞くのは、何とも興味深い。そんな話の一つで特に興味深かったのは、彼が日本と欧州の重大な違いの一つが、日本では先生が非常に偉く、無謬なる存在と見なされることがしばしばであるが、欧州では断じてそうではない、と指摘した点であった。こうしたことはしばしば海外から見た日本のステレオタイプの一つとして言われることでもあるので、そのままであればさして注目に値する発言とは言い難いところであったかとも思う。が、その理由についての彼の解釈が非常に興味深いものであった。


 「我々キリスト教圏の人間は、人間とはそもそも罪深い存在であると考えている。したがって、如何に偉い人物であっても、如何に立派な先生であろうと、その罪深さという点では誰しもが同じようなものである。しかし日本では、どうやら人間というのはそれほど罪深い存在だと見なされているようには思えない。だから、人間であるところの先生や師匠が、無謬なる存在だと見なされることもあるのだろう。これが大きな我々との違いなのだ。」


 この解説は非常に納得のいくものであった。このことはすなわち、キリスト教圏では、人々はそもそも人間にある種の期待をかけてはいない一方で、日本では、(あるいはアジアでは)どうやら人間に無謬なる存在になりうる、あるいは控えめにいって近づけるのだという期待をかけているということだと言えるであろう。ついてはその話の流れで、


 「それは結局、キリスト教では、この世の中は、悪魔であるサタンの支配下にあるという世界観が一般的だ、ということなのか」


 と問うてみたところ、何のためらいもなく、そうだ、との返事が返ってきた。なるほど、キリスト教圏では、この世の中は基本的にどうしようもないところなのだと認識されているのである。


 性善説性悪説という言葉で片付けてしまえばそれだけの話になってしまうところかもしれないが、このやりとりは筆者にとって大変印象深いものであった。聞くところから、キリスト教は人間を罪人と考え、この世がサタンの支配下にあると考えている、という知識は持ち合わせていた。しかし、キリスト教圏の人物は(あるいはより正確にいうなら、キリスト教の信仰を携えた欧州の人々は)それを全く常識と捉えつつ、生きているのである。上記のような会話のやりとりを通じて、そうした信仰と共にある生身の生に触れた体験は、筆者におけるその思想の体感的理解を大いに促すこととなったように思う。


 それ以降、あれこれ思いを巡らす折に、「この世はサタンの支配下にある」というどうしようもない否定的な世界観を思い起こしてみる、ある種の思考上の癖のようなものが身に付いてしまった。ともすれば、こういった何とも否定的な世界観を携えることは、何とも厭世的で、ペシミスティックな思考回路になりうるのだ、と考えることが一般的であるかもしれない。しかし、その効果はまるっきり逆であった。「この世はサタンの支配下にある」と考えれば考えるほどに、楽観的に、かつ、前向きに目前の諸事に対峙することができるようになる、という心的効果を感ずるに至ったのである。


 それはおそらく、次のような効果なのではないかと思う。
 まず、おおよそあれこれと思いを巡らすのは、少なくとも己の判断の中で善きことではないかと思えることを為そうとする一方で、思い通りにはならない、という局面が多い。そしてそのように思い通りにならない理由の中でも最も本質的な問題は、他者の自由意志の存在の問題である。これは福田恆存も指摘していたことであるが、聖書の中には、かのキリストですら他者の自由意志にほとほと困らされた、との下りがあるらしい。いずれにしても、もし自身が主張する善が真に善なるものであるのなら、誰もがきっとそれを理解するはずだと考えている一方で、目前の他者がそれを理解する気配が一向にない場合、それは大なる精神的負担となる。とはいえ、その他者を信じていれば、自身が信ずるものが過ちであるやもしれぬとの深い内省を何度も繰り返しつつも、自身が善と信ずるものを理解してもらえるまであの手この手で理解を促す努力を続けることであろう。もしも、目前の具体的個人を完全に信じているのなら、自身の精神の限界を迎えるまで、その作業を無限に続ける他はない(全くの余談ではあるが、例えば夫婦とはそういうものなのかもしれない)。


 しかし、実際には、その作業は実を結ぶこともあれば、実を結ばないこともある。そして実を結ばないことが多くなれば、少なくともその分だけ、厭世的な気分に苛まれてしまうことともなる。つまり、この世は素晴らしいと思えば思うほどに、他者に自由意志が存在する現実のこの世での実際の自身の能力の限界故に、厭世的気分に浸り、反ってニヒリズムに吸着されてしまうという傾きが精神の中に立ち現れてしまうように思うのである。


 ところが、万人が罪人であり、かつ、この世はサタンに支配されたどうしようもない場なのだと認識していれば、そうした厭世的気分に苛まれることは一掃されることとなる。そうした世界の中では他者のために如何に努力しても、それが実を結ばないということこそが、当たり前なのである。それにもかかわらず、他者に自らの思いが伝われば、それは既に一つの偉大なる「奇蹟」である。それを「奇蹟」と捉えることができるのなら、その精神は大いなる喜びに包まれることとなろう。かくして、この世がサタンに支配されていると思えば思うほどに、ますます、楽しく、前向きに、力強く、日常を処していくことができるということがありうることとなるのである。


 ――無論、このようにわざわざキリスト教なるものを持ち出さずとも、それは至って当たり前の、日常において身を処すための伝統的智恵ではないか、と言えば確かにその通りであると思う。しかし、そういう伝統的智恵を持たざる愚かな筆者のような存在ですら、「世の中はサタンの支配下だ」という論理的世界観は逆説的にも現実に身を処す上での一つの救いとなりうるのである。


 とはいえ、サタンの支配下と考えることが救いになりうるためには、実はそれを上回る巨大な楽観論を、密かに持ち続けていなくてはならない(これは「密かに」でなければ、上記のサタンにまつわる心的効果が喪失されることとなろう。それ故、本稿にこうした内容を記しているという時点で既に、それは善からぬことなのであろうとも思う。が、キリスト教文化圏ではどうやら神や悪魔という概念を、そして神の復活なる絶対的なる希望を平気で言ってのけているように見える。もう少し正確に言うなら、少なくとも日本人よりもそうした究極的概念を表明することについてのためらいは小さなものなのではないかと思える。無論、それは思い過ごしなのかもしれないのだが、この点は本論からそれてしまうことなので、その点についてはまた別の機会に考えたいと思う。話を戻そう)。もし仮に、自身の精神も含めて完全に悪魔サタンに支配されることが決定づけられているのなら、それは例えばキルケゴールが「死に至る病」と呼んだ絶望に陥らざるをえなくなるだろう。一言で言うなら、精神のどこにも希望を一切持たぬのならば、前向きに、力強く日常を処していくことなどできはしないのである。それこそ、文字通りニヒリズムである。


 しかし、単純な非ニヒリズムではなく、悪魔サタンの存在を徹底的に信じることを通じて、現実の「この世」に対して徹底的に絶望してみせ、その上でもなお「真の絶望」という死に至る病に冒されぬ力強さを携えることができるなら、その精神の力強さたるや、素朴に「渡る世間に鬼は無し」と他者を何となく信じつつ、それ故に少しずつ絶望していくひ弱な野菊のような精神よりも、遙かに巨大なるものだと言いうるのではなかろうか。いわば、悪魔サタンの存在を全面的に肯定した上で、しかもそれにあっさりと敗北し、死に至る病に冒されぬ程の力強さを持ちえた精神だけが、この世の中で思い通りにはならぬ他者と共に楽しく生き抜く栄誉に与ることができるのではなかろうか。何とも微妙な平衡感覚が必要とされるところではあるが、チェスタトンがかつて言ったキリスト教における巨大な平衡術の本質は、ここにあるのではないかと思う。むしろ、そうした巨大な平衡作業を論理化するための概念装置として神と悪魔の二分法が機能しているのだとの解釈もあながち誤ったものではないように思う。言うならば、絶望と希望の弁証法は、悪魔サタンの明確な想定によって、さらにより上位へのアウフヘーベンが可能となるのである。


 しかし、悪魔サタンの明確な想定は、極めて危険な賭けでもある。悪魔サタンを容易く手なずけることができるなどと、ゆめゆめ思ってはならぬことだけは、決して忘れてはならない。だからこそ、仮にそれが悪魔であろうとも、それを嗤いとばす程の力と余裕をその身に携えておかねばならぬのであろうとも思うのである

 福田首相退陣をめぐって――西部邁塾長講義録(2008/9/6)


 ――評論家・西部邁氏の、「表現者塾」における講義録です――
(この講義をもとにした西部氏の論評が、『表現者』11月号に掲載される予定です)


 九月六日の表現者塾では、急遽福田首相が退陣を表明したことについて、まず西部塾長がその日居合わせた塾生に簡潔な意見を求めた上で、それらを元に議論を展開して行かれました。主だった論点を以下に取り上げてみます。


 〈福田首相の“聡明さ”〉
 塾生A:福田首相の、マスコミに対する「あなたとは違う」発言には、じつは福田首相の聡明さを見出すことができるのではないでしょうか。
 塾長:ここでの「あなた」とは、おそらく社会科学的な意味での「大衆」を指していると思われます。そもそもこの加速度的に変化する社会(changing society)においては、危機(不確実な未来の中で確率的な予測ができないもの)が常に付きまといます。そこで人間は「実存の不安」の前で生きることを余儀なくされ、最終的には能動的ニヒリズムにしか支えられなくなります。そして政治家の本質とはまさに「不確実性の只中において決意・決断(decision)をなすこと」なのであり、その点で福田首相に言わせれば、「自分はあなた(大衆)とは違う」ということになるのではないかということです。


 〈国際社会は日本に関心なし〉
 塾生B:アメリカでテレビのニュースを見ていて感じたのですが、国際社会は今回の日本の首相退陣について、全くと言ってよいほど関心を持っていないのではないでしょうか。
 塾長:現在、日本は自国の軍隊を持たず、独立国としての国体を保てない状態にあって、他国からは完全になめられています。食料自給率倍増、原発依存率倍増、国防費倍増といった長期プランを掲げる政治家が次の候補に控えているというのであれば、他国も注目するかも知れません。しかし、食料・燃料・環境等の様々な危機の最中にあって、これといった具体的な政策を生み出そうともしない日本には、どこの国も関心を持たないのが当然でしょう。


 〈泡沫候補
 塾生C:今回の候補者はほとんど泡沫候補としか言いようがないのではないでしょうか。
塾長:今までは、首相に立候補するためには長い年月をかけて政治家の資質(人格、能力)を磨かねばならなかったのですが、今回の候補者の顔相を見ると、とても一国を背負って行けるような人物はいないように思われます(笑)。古代から言われているように、そもそも「デモクラシーはコメディーとしての構造を持っている」わけです。その意味するところは、「くだらない自分たちが選んだ政治家なんて、どうせくだらないに決まっている」という国民心理の下で行われる政治は、やがてスラップ・スティック・コメディ(どたばた喜劇)に堕ちゆくことを免れることはできないからです。このことはアメリカでも、相当多くの人間がテレビでしか政局を見ていないという事実が証明していると言えるでしょう。


 〈選出者の責任〉
 塾生D:政治(家)が醜態をさらし続けているのは、我々国民(有権者)に問題があるのではないでしょうか。
 塾長:よくテレビや新聞等が世論調査を行っていますが、そこで発表される内閣支持率は一向に安定することなく、何か事あるごとに上下を繰り返している。このことはまさに、有権者の判断力、分析力、予測力の欠如を意味しているのではないでしょうか。ヨーロッパ人は、昔から大衆が政治に介入することの危険性に警鐘を鳴らし、それと闘ってきました。だからヨーロッパでは、日本のように頻繁には世論調査を行いません。我々は一体どうすればよいのでしょうか。「一度文明が大衆の手に落ちてしまったら、その文明を救うことは事実上不可能である」というオルテガの言葉が正しいとしたら、我々には絶望しか残されていないように思われます。しかし、もしも唯一の希望があるとすれば、そのことに一人でも多くの人間が気付くことではないでしょうか。


       *          *          *


 筆者の意見としては、今後誰が総理になろうとも日本の政治は悪化の一途を辿ることとなり、誰一人とてその状況から逃れることはできないと思われます。しかし、そのこと自体は格別問題であるとは思いません。およそ百五十年前から孕まれていた(一部の侍以外の)日本国民の、「自国を自分の手で守る」という気概を欠いた無責任性の問題が、今、最悪の形で体現されているだけであるように思われます。
 今や我々は侍や軍部といった一部のエリートのせいにして責任逃れをすることはできません。なぜならば政治家も官僚も、我々国民の中から選出されているからです。
 これからは自然の摂理に反することなく、現代の文脈に相応しい「文武両道」の生き方を身につけた国民のみが、この「乱世」を生き延びることができるのでしょう。やがてそうした人たちが、再び日本の真の独立へ向けて貢献してゆくこととなるのではないでしょうか。

書評:『自己への物語論的接近―家族療法から社会学へ』(浅野智彦著、2001年)


 社会学は従来、J・H・ミードの議論に代表されるように、「自己」は「他者」との関係によって形成されるということ、そして「自己」は「I(主我)」と「me(客我)」に分裂することによって「自分自身への関係」をもつことのできる存在でもあると主張してきた。あくまでも「関係」の中に「私」というものが浮かび上がってくるのであって、「私」という実体がアプリオリに存在するのではないという主張は、認識論における「構成主義」の基本的なアイディアでもある。「物語論」とは、大雑把に言えば、この「関係」を「会話による物語」に置き換えたものだと思えばいい。

 「物語」あるいは「自己物語」とは何なのかについて、著者は次のように要約している。第一に、自己物語は「語る自分」と「語られる自分」という「二重の視点」を持っている。第二に、無限に複雑であるはずの「生きられた現実」から重要な出来事や解釈だけを選び出して、時間軸に沿って配列し、構造化している。そして第三に、自己物語というものは「他者」に納得のいくものとして受け入れられることで、初めてリアリティを得るものである。



 1950年代のアメリカで、「家族療法」という心理セラピーが試みられ始めた。患者が抱えている心理的なトラブルを、患者個人ではなくその「家族関係」に介入することによって治療するというものだ。家族を一つの「コミュニケーションシステム」と捉え、問題はそのコミュニケーションのパターンから生じていると想定し、そのパターンを変化させることによって問題を取り除こうとするのである。

 で、この家族療法の方法論に、80年代末から90年代にかけて大きな変化が起こった。このとき現れたのが「物語論」である。セラピストは、患者が交わす「会話」の中に、患者の抱いている「自己物語」の筋を読み取る。そして、話し相手としてその物語に参加しながら、患者にとってより苦痛の少ない、新しい物語が生まれるチャンスを探すのである。

 トラブルを抱えた患者の語る自己物語は、「生きられた現実」の複雑性を、過度に単純化して切り取り、他人や社会の基準に合わせて型にはめ込んだ「ドミナント・ストーリー」となっていることが多い。セラピストは、患者の自己物語を聴き手として受け入れる一方で、物語の本筋とは少し矛盾するような例外的なエピソードを見つけ出し、語りの俎上に乗せていく。そうして「ドミナント・ストーリー」を脱構築していくのである。



 ところで、このようにして物語が書き換え(脱構築)可能なのは何故なのか。一つの理由は、物語とは無数にある現実の出来事の一部を恣意的に切り取って配列したものだから、つねに、そこで捨てられている別様の語りの可能性が存在するということだ。それに加えて、著者が最も重視する理由は――そして従来の学説がうまく捉えていなかったとされるのは――、「自己言及」(自己について自己が語ること)という自己物語の形式が、構造的に、物語の一貫性・完結性・妥当性・客観性を絶えず宙づりにしているのだということである。「語る私」と「語られる私」という二重の視点に引き裂かれている自己物語は、それ自身の内には物語の正当性を支えるものを持っていない。それゆえ、他者の承認によらなければリアリティを獲得できないという不安定さと同時に、様々に変化しうるという可能性をも持つのである。



 著者が「自己物語」に見出している最重要の特徴が、この「自己言及」のパラドックスなのだが、私は個人的には、「自己物語=自己の現実」が「他者」の存在抜きには成り立たないのだという論点のほうに関心がある。

 「自己物語」において他者が果たしている役割には、著者によれば次のようなものが挙げられる。「自己」が自分自身を外側から見るための(語り手の)視点を提供すること。自己の「現在」と「過去」が確かにつながっていることの証人になること。自己が記憶していない(例えば幼少時の)エピソードを語って、物語に起源を与えること。例外的な出来事や解釈を吹き込んで、「自己物語」に変化のきっかけを与えること。物語を承認したり否定したりあるいは修正したりする編集作業に参加することで、暗黙裡に、物語を「すでにそこにあるテクスト」として認めること。そして、聴き手として物語に納得を示すことによって、物語の宙づり状態を一時的に覆い隠すこと。



 これらは、「自己」の存在に現実味を持って生きるためには、「共同体」内のコミュニケーションに包摂されていなければならないということを意味している。そして、本書の中ではほとんど主題化されてはいないのだが、共同体のコミュニケーションもそれ自体が物語であって、そこには「歴史」というものが成立しているということが重要だ。

 「共同体の歴史」という物語を考えたとき、物語を承認したり物語に登場したりする「他者」には、「死者」すらも含まれるのではないかと思われる。もちろん、物語のスケールにも限度はある――語り手は、あらゆることを語りつくす前に死ぬのだから――だろうから、「他者」の範囲を広げすぎても仕方がない。しかし死者たちだって多かれ少なかれ言葉を残しているのであって、彼らの語った「物語」からあまりにも大きく隔たった「自己物語」を、我々は組立てることができないのではないか。(彼らが納得しないだろうと思われるような物語に、我々はリアリティを感じられないのではないかということ。)

 「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」とE・H・カーは言った。その種の「対話」もまた我々の「自己物語」のリアリティを支える柱の一つであるように思えてならない。人間が「物語的」な存在であるということは、「共同体的」かつ「歴史的」な存在であるということと同じなのである。

荻生徂徠と日本史固有の近代について――統一的原理と多様性

 一 定型化された「近代論」の陥穽
 江戸期を中心とした日本思想史研究の泰斗である東京大学名誉教授尾藤正英は『日本文化の歴史』の結論部において以下のようなことを述べている。「日本の将来に新しい展望を開く可能性があるとすれば、(中略)『西洋化』の弊害を正視し、西洋化以前の伝統に基づいて、新しい日本のあり方を構想するところから着手しなければならないのではないかと思われる」と。
 ここで使用されている「西洋化」とは何か。尾藤は日本史を戦国以前と以後で二つに分け、「古代」と「近代」の二つとしている。極めて大胆な学説といえよう。文明史的な視点がないと、このような日本史を大枠で捉える発言は生まれてこない。
 尾藤は、近代についても二つに分け、安土桃山時代・江戸時代から日本は「日本史の固有の発展から」生まれた「日本史固有の近代」であり、明治時代の文明開化になって日本的価値観が動揺を来たす時代を「西洋化」とした(ちなみにこの尾藤説を剽窃したのが『国民の歴史』の著者西尾幹二であった)。ここからは私の勝手な発言だが、明治、大正、昭和の敗戦までを「西洋化」の時代とすると、その延長上に位置するのが、第二次「西洋化(正確にはアメリカ化)」と呼ぶべき戦後の民主主義時代とでもいえようか。つまり、日本史の文脈から考えた場合における近代は、三つの時代に分けられる。
 どうも日本においては近代を論ずる際に一つの定まった形があるようだ。それは昭和一七年九、一〇月号の『文学界』に掲載された「近代の超克」論議にも見える。座談会には河上徹太郎小林秀雄といった錚々たるメンバーが出席していながら、日本史固有の文脈から出来上がった近代という議論はなく、彼らが論じているのは「西洋の近代」の超克である。司馬遼太郎は、後に思い出してこの座談会を読み「日本の近代がない」とクスクスと可笑しかったと語っている(『雑談昭和への道』)。実に鋭い指摘といってよい。
 このような傾向がより露骨になったのは、昭和二一年の戦争直後に発表された丸山眞男の『超国家主義の論理と心理』からであって、「ヨーロッパ近代国家はカール・シュミットがいうように、中性国家たることに一つの大きな特色がある」という「中性国家」を近代国家のモデルに見立てる議論であった。「ヨーロッパ近代国家」と留保し、他にも近代国家のモデルがありそうなことをにおわせながら、丸山の眼中にあった「近代」はヨーロッパの市民社会だけであったのは疑いいれない。これは敗戦直後の日本人に大歓迎され、西洋文明の末に位置するアメリカなるもので、「国を建てましょう」という動きが加速したわけである。
 そうしたヨーロッパ製の概念を基礎にして日本史を研究するということは「危うい」と述べたのが尾藤であった。尾藤は古代・中世・近代という時代区分は明治初期から定着していたが、これはマルクス主義の世界の発展段階説と関係が深いと指摘し、こうした規定は必ずしも当てはまらないと述べている(『江戸時代とは何か』)。そういう背景もあって、尾藤は日本人の立場からみた日本史は「古代と近代の二つである」と発言した。これはいうまでもなく内藤湖南の『日本文化史研究』での「室町以後が今に通じる日本らしい日本史」という主旨に則ったものであるのは間違いない。他にも尾藤は、ヨーロッパ中世の封建制を想起させるような封建主義という言葉で江戸を考えるのも、江戸時代の人間がこうした言葉を使っていながらも、警戒すべきだとしている。尾藤の近代論こそ「日本史に則った近代論」というべきであろう。
 日本史を考察する際に、ヨーロッパの歴史用語を「参考」にして歴史を考察するのはよい。その国の特性は、他国との比較の視点を通じなければ浮かび上がらない。論者の立場によってそれぞれの立論の方法がある。しかし、西洋近代史で展開された特性はあくまでも「参考」なのであって、それを『近代の超克』の論者や、丸山眞男らが作り上げた風潮のように日本の「近代国家論」にまで適用して議論の骨組みにすることには違和感を禁じえない。また日本の近代を考察する際に、東洋政治学の中心思想であった儒学が、江戸日本においてどのような展開を示したのかといったことにも触れる必要があるわけであって、そう考えるとますます「西洋のものさし」ばかりで日本史をはかることはできないであろう。


 二 なぜ日本では職人が尊ばれるのか――日本的儒学の考える道
 日本史固有の近代としての江戸は大いに評価されてよいのではないか。西洋化以前の日本の固有の伝統観念について、ここでは尾藤の研究を参考に考えてみたい。
 突飛な話だが左甚五郎とは江戸時代初期に活躍したとされる伝説の彫刻職人である。日光東照宮の眠り猫を彫るなど、さまざまな講談で語られるような伝説がある通り、人々の大変な尊敬を集めた。また左だけではなく国宝級の多くの絵巻物を見ても大工をはじめとして、職人らが大変力強く描かれている作品が非常に多い(『松崎天神縁起』、北斎の『富岳三十六景』など)。こうした「職人礼賛」は古来より続く日本の伝統といって間違いがない。
 他方で、朱子学を重んじる中国及び朝鮮では職人は全くといってよいほどに尊ばれなかった。むしろ「賤しい人間のする仕事」として蔑まれたのである。尊敬されたのは形而上学的な思弁能力を持つ学者や官吏と呼ばれる人間であった。だから「貪官汚吏」と呼ばれる存在が幅を利かせることになる。日本と中国・朝鮮ではなぜこのような相違が生じているのか。いろいろ切り口はありそうである。ここでは職業に対する観念の相違に注目するのではなく、「道」という抽象的観念の違いから述べたい。
 極めて大雑把に述べると、朱子学とは宋の時代に士大夫らが担った形而上学であり観念論哲学である。「先王の道」を極めれば「万人が聖人になれる」と説く教えである。「修身・斉家・治国・平天下」というように、個人の道徳の修養を第一に重んじ、それがやがては家をととのえ、国を治め、天下を平らげることになると説いた。一口に言うと士大夫層の中において限定された平等主義であり、個人主義である。「道」という言葉に注目していただきたいのだが、朱子学ではこれは古代の聖人の王(堯・舜など)により作られ、人として行うべき「道」であり、従わねばならぬ規範や法則として確立されている。「道」は一般の人間には絶対的に動かし難いものである。
 これを日本の代表的儒者である荻生徂徠(寛文六年〔一六六六年〕〜享保一三年〔一七二八年〕)は批判し、「先王の道」というのは、「民を安らかにする」(『弁名』)のが根本義である。したがってもっと身近なものであり、誰もが認識でき容易に近づけるのであるとした。
 また、聖人にはいちいちなる必要もなく、勉学すればなれるものではないと説いた。「人が誰も彼も先王の礼楽などを定める権限を握ろうとするのは、僭越でなければ妄想」(『弁道』)なのである。「道」も固定的なら朱子学においては、一つ一つの道徳的価値についても定まっており、仁・義・礼・智・信は五常とされ重んじられ、人間の「性」を構成するとされる。これは「性即理」と見なされ朱子学の根本にある思想となっている。これについても徂徠は批判し、「(引用注:君子は)是にも非にも善にも不善にも、初めから態度をきめてかからないようにするのである。だいたい、物が正しく養われないのは、悪である。適当な位置におかれないのも、悪である。育てて成長させ、適当な位置を占めさせるのは、みな善である」(『学則』)と述べ、事の善悪はその時とその場の情況に応じた判断をすべきであり、共同体の構成員が適材適所について社会を運営していくほうが良いと説いた。ヨーロッパ近代における社会分業論につながる見解であろう。
 朱子学は士大夫層を中心にした学問であったが、徂徠の適材適所論は、士・農・工・商でいえば武士層だけを念頭に置いたのではない。冒頭に述べたような彫刻家や大工といった職人層も含まれているのである。「道」観念はこうした人々にも広がっており実に多様である。そういった点では、国民(こういう言葉は当時はないけれど)的規模のスケールで広がっていたのではなかろうか。確かに職人が聖人になる必要はないであろう。人々が、己の「職分」を追求し、その「道」を築きあげるのが日本人の生き方であって、こうした徂徠の政治学は江戸日本人における人生観に通ずるものがあるのは間違いがない。


 三 日本史固有の近代は多様性と統一性の均衡に成り立つ
 一口に「士農工商」と呼ぶが、これは中国の『春秋穀梁伝』などに現れた古語であり、江戸時代人自身が好んで用いた言葉である。後世の人間が想像するように、江戸幕府が厳格な身分階層を人々に対して強いていたということは後世の歴史家の偏見に過ぎない。また、一概に階級秩序を批判するが「維れ斉しきことは斉しきに非ざるによる」(『書経』)ともいうのであって、社会秩序の維持とは不平等により成り立っていた側面があることを今日の我々は忘却しがちである。
 この時代の人々は個々の階層や身分に所属する意義を、当時よく使う言葉であった「職分」という自覚により支え、己らに与えられた役割を全うし、共同体全体の秩序の安定に貢献したという側面は見落とせない(武士は「軍役」に、百姓は築城や道路河川の修築などの「夫役」などに従事した)。「職分」とは西洋でいうところの「天職」(calling)に近い。実際、「職分」は天の観念に結びついているともされる。尾藤正英はこうした日本的伝統観念が生き生きと存在した時代を包括して「役の体系の時代」と呼ぶ。人々がそれぞれの役割に自発的に任じ、そこに生きがいを見出す時代である。社会全体に多様性もあったが、それと同時に統一的原理(幕府や藩)も存在した社会であった。
 「道」がついている単語を思い起こせば、「武士道」や江戸に確立された「士道」、後の時代にはなるがスポーツにおける「柔道」や「弓道」、そして日本の代表的文化である「茶道」、将棋では「棋道」など枚挙に暇がない。これだけ多様な「道」が存在するのは日本的な光景だろう。日本では職人も尊敬されるわけだ。徂徠によれば「道」はいろいろな場面で現れる「術」である。その「術」とは「それに従って実行すれば、自然に知らぬうちに到達できるものである」(『弁名』)。誰でも簡単に「道」に近づけると考えた点に、徂徠の独創性があったといえよう。この古文辞学荻生徂徠の学問)の立場は、乾隆帝の時代に盛んになった朱子学批判の清朝考証学よりも多少早い。
 繰り返すが、中国・朝鮮が重んじた朱子学における道の概念は古代の聖人が作ったとされる「先王の道」に尽きるのである。これを極めることが聖人への道であり道徳の完成である。しかし徂徠はこれを批判する。先王の道は天下を安泰にする道である。「天下を安泰にするには、自己の修養が根本なのだが、天下を安泰にしようという心がけにもとづく修養でなければならぬ。これがいわゆる『仁』である」(『弁道』)と。自己の修養を先にするのではない。まずもって天下が先に現れねばならぬ。
 自己が先なのではないのだ。徂徠は「人間は社会的動物である」と考えた人である。「群れに入らず孤立して生活できる人間があるだろうか。士・農・工・商は助けあって生活している。こうしなければ生存することが不可能なのである」(『弁道』)。こうした人間観・世界観を備えていたからこそ徂徠は、朱子学において五常の一つに過ぎなかった「仁」を大変持ち上げるのである。彼は「仁義」と並べて理解した孟子のことも痛烈に批判している。仁とは「人偏」に「二」つと書く。いうまでもなく慈愛和親を表す意味であり、「人々を育て、民衆を安らかにする徳」(『弁名』)であり、「人々を群がらせて統一するためには、仁以外ではできるはずがない」という。「仁」とは人々を統一させる原理でもある。
 荻生徂徠朱子学における個人主義臭さを批判し、「人間は社会的動物である」との立場から、人々がいかにして社会における多様性と統一性を保ちながら生きていけるのか考え、またいかにすれば社会は秩序を保てるのかを研究した思想家であったといってもよい。だからこそ尾藤正英は徂徠を「国家主義者の祖型」と呼んだのであろう。国家の統一的原理として徂徠は「祭政一致」を説いた。政治権力の背後には「天」や「鬼神」という非合理な権威の存在していることが重要だからだ。こうした不可知論的世界観は国学に継承していった。
 統一的原理を基礎に置かない多様な価値観が並存する社会は最悪に向かうであろう。それは今日のポストモダンの、サブカルチャー論などの堕落ぶりを想起すればよいことである。江戸日本は二七六もある各藩それぞれが、その地の特産物(陶芸品や醤油など)を作り、異なった学問(朱子学陽明学折衷学古文辞学など)に励んだ。そうした国家規模での多様性がありつつ、外圧などの危機の時代には天皇を中心とする共同体の論理が尊皇攘夷などで浮上し(これは朱子学的でもあるのだが)、統一的原理も保持していた。今の日本には、価値観の多様性ばかり説かれて統一する原理が脆弱である。また統一性とは似て非なる、没個性の画一的社会になっている。これは最悪である。


〈参考文献〉尾藤正英『日本文化の歴史』、同『江戸時代とは何か』、同責任編集『荻生徂徠 日本の名著16』、島田虔次『朱子学陽明学』、荒木見悟責任編集『朱子 王陽明